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コラム(37) 2010年12月
急速に変容した2010年を振り返って
 2007年のサブプライムローン、2008年のリーマンショック、2009年のチェンジを経て、激動の2010年も終幕を迎えました。

 国際社会の多極化、中国や新興国の台頭、アメリカの衰退傾向、EUの財政悪化等、予測以上のスピードで世界情勢は変容を遂げております。従って日本においても、そのような環境変化が直撃し、新しい時代の新しい対応が抜本的に求められております。

 東アジアにおける安全保障問題は、日本政治の弱点が顕在化し、戦後65年の本質が国民の前に露呈されました。経済についても各般のエコノミストが、様々な視点から分析をしておりますが、その根源は生産労働人口の急速な減少と高齢化社会問題であります。この問題について、政治がどのような認識を持つかが問題解決の重要な鍵であります。

 更には、TPP問題に関わる農業政策、医療、福祉介護、教育、環境、社会資本整備等、政治は山積する課題につき、勇断を持って果敢に政策提示をしなければなりません。付加価値の高い新たなるビジネスモデルの育成による就業の確保と新しい発想による経済政策の構築が最重要テーマであります。

 政治に要諦は、経済と雇用の確保が基本であります。世界経済の急激な変化に対し、日本はバブル崩壊後、不良債権処理に追われ、新しい経済社会像を描ききれず、政治もその先見性を発揮できなかった結果、失われた20年という歴史的事実が残りました。

 更に、団塊世代が介護年齢を迎えることをシュミレーションすれば、その財政支出は膨大なものになり、労働生産人口の減少と高齢化に対し、政治はどのような未来像を提示できるのか、各分野における将来像も団塊世代問題と同様であります。

 政治・行政・経済界が一体となり、人類が経験したことのない日本の近未来について、私達は当事者意識を持ち、責任ある時代認識を持つことこそ将来への最重要課題であると思われます。

コラム(36) 2010年11月
激動する政治経済状況に新たなる対応を
 著名な歴史学者トインビーは、歴史の研究の中で、最重要問題につき国家が自己決定できなくなった時、その国の運命は一番致命的であると述べております。

 昨今の尖閣諸島、北方領土問題における政府の迷走ぶりは、いかに日本としての国家意思が喪失しているかの証左であり、強い危機感を持たざるを得ません。更に、米国における民主党の歴史的大敗が、経済雇用問題が主要因であったと思われる中、日本への影響は為替に限らず日米同盟にも新たなる課題が提示されるものと思われます。

 又、インターネットに尖閣諸島周辺で起きた中国漁船衝突事件の映像が公開されたことにより、日本政府の情報管理の甘さと同時に、なぜ今日まで正式公開をしなかった点について国民から批判の声が一層大きくなるものと予測されます。

 いずれにしても、主権国家たる日本が、外交安全保障について再構築が求められており、主体性のある国家運営を強く望むものであります。

 米国のFRBは70兆円に上る国債の引き受けを決定し、強い景気刺激策への意思を明確にいたしましたが、日本の今日のデフレ状況を認識する時、財政金融政策の抜本的見直しと経済成長戦略を本格的に提示すべきと思われてなりません。我が国のGDPが約520兆円から480兆円まで縮小し、失業率5%台、大卒の就職率60%、国民1人当たりのGDP23位、国際競争力27位というデータからも日本経済の再生に向け、今こそ政治は全力を傾注すべき時であります。

 長野県においても、平成12年8兆8461億円であった県内GDPが平成19年には8兆1479億円となり、有効求人倍率0.63倍、平成22年9月までの高校生の就職内定率42%、県民1人当たりの所得は311万円から280万円まで低下し国同様、下方傾向に歯止めがかかっておりません。

 政治の最大なる課題は、今日、経済雇用政策の確立であり、その実態を正確に把握する必要があります。長野県としても信州グリーンライフイノベーションを基本戦略に、知的クラスター・地域中核産学官連携拠点・信州メディカルニーズ育成拠点等の重点施策を基本としながら、養蚕から精密機械、そして電子機器に次ぐ第4世代の新たなる成長分野の把握に向け、新しい戦略構想を早急に立ち上げるべきであり、私も微力ながら長野県経済雇用の再生に向け、議会活動を通じ、一段の努力をする所存であります。

コラム(35) 2010年10月
漂流する政治空白の危機
 激動の21世紀も、既に10年が経過しましたが、国際社会におけるわが国のプレゼンスは、政治・経済・安全保障等、急速に劣化しております。このままの政治状況が推移すれば、失われた20年から30年へと最悪のシナリオが予測されます。

 尖閣諸島問題における政治の対応は、戦後外交史上最悪の汚点であり、弁明の余地はありません。主権国家たる日本が、戦後初めて国家意思及び国家としての決断を迫られたのであり、一連のプロセスはまさに国家の死を予感させるものであります。

 一方、経済は平成恐慌とも言える状況であり、失業者は300万人台で高止まりが続き、生活保護世帯は137万人、受給者190万人を超え、過去最高のデータであります。民間企業での平均給与は406万円で1989年並となり、年収300万円以下が全体の40%を超えるという、凄まじいデフレ経済であります。円高株安の国際的な諸要因は、説明するまでもありませんが、とりわけ危惧されるのは、米下院が通貨戦争とも言える保護色の強い法案を可決したことであります。このような報復関税が国際的に波及すれば、世界経済全体への悪影響は図り知れず、1930年の大恐慌を想起させます。その意味から、IMFやG20の役割は極めて重く、各国の自制を強く期待するものであります。

 21世紀の日本のあるべき姿につき、政府は明確なビジョンを未だ提示できぬまま漂流を続け、注目されたマニフェストも次々と訂正、ある意味で想定されていたことではありますが、現政権運営の未熟さの証左であります。亡国の民主党とも揶揄されるごとく、政権の主体性や一体感、危機意識の希薄さは、もはや政治主導とは程遠く、政治空白を招き戦後の歴史の中で異常事態であります。

 1990年世界1位であった国民1人当たりGDPが現在23位、国際競争率2位、若年世代の経済的困窮率等、幾多の深刻な事実を冷静に分析すれば、日本政治の不在感は目を覆うべき環境にあり、政治家はステイツマンとして、この国の再生に向けて、全力を傾注しなければなりません。物質、拝金、私生活主義に溺れ、日本の伝統、文化、公共意識を喪失した日本人の精神構造は、三島由紀夫氏が予言した通り、空虚な無機質化社会に堕落し、誠に慙愧に堪えません。

 ギリシャローマ以来、ポピュリズムに走る政治の悲劇は、結局のところ国民生活や国家の破壊を招く歴史の事実を、私たちは自分自身の問題として厳粛に考察しなければなりません。国政、地方政治に関わらず今日、日本のおかれた立場、それに伴う地方経済の疲弊は、過去に経験のないものであり、その基本的要因は、政府のマクロ経済に対する無策にあります。

 私も国際社会及び国内政治の動向を十分に注視し、都道府県間の競争が一層激化する中、今後とも真に県民のための県政実現に向けて、大極観に立った新しい時代の長野県発展に向けて、経済及び雇用問題を柱に、これからも緊張感を持って努力する決意でありますので、引き続きのご指導を心から祈念致します。

コラム(34) 2010年09月
加速する日本衰亡の歴史の岐路
 今日の政治の混迷と日本の国家衰亡は深く連関し、歴史的にわが国の政治経済情勢は、危険水域に入ったと認識すべきであり、戦後最大なる未曾有の分岐路に立っております。政治、行政はもとより経済界も含め、現今の状況を俯瞰する時、わが国は一体これからどうなるのかという気がしてなりません。

 県政に参加して早16年が経過し、社会の中で政治に対する無力感や苛立ちが益々普遍的しつつある時、日本はすでに峠を過ぎ、下り坂とむかって急激に劣化しつつあります。

 現代人の持つ本質的な無気力さは、政治の堕落と退廃をもたらし、真の価値基準を喪失した日本の現代社会は、人間にとって最も重要な大義への責任の履行を放棄し、生活第一という空虚なスローガンに政治的理念が、矮小化した現況は驚愕以外のなにものでもありません。

 チャーチルは「民主主義は最低の政治だが、しかし結局これしかない。」と看破しましたが、昨今の政治選択は誠に憂うべき事態であり、国民の財産と生命を守り、国家の存立の堅持を第一義とすべき政治が、党利党略に邁進し、幻想としての空虚な政治改革のスローガンに目を奪われた結果として、国際社会における日本のプレゼンスは、低迷の一途を辿っております。

 このままの国民意識が続けば、失われた20年から更に30年への悪夢が予測され、政治は自らの保身に立った選挙のための選挙という愚行に走り、選挙という国家社会の意思を方向づける重要な意見決定を、政治家がその本質を意図的に認識しようとしない現状は、日本の衰退の主要因そのものであります。
 故に、この絶望的な日本の政治状況を再生すべく、国民が国家社会の運命を自分自身の問題として捉えない限り、わが国の衰亡への傾斜を回避することは困難と思われます。

 100年に1度と言われたリーマンショックが先進国の協調政策によって、一応の回復基調に戻ったと思われた矢先に、今年再び円高株安という新たなる危機が日本を襲っているにも関わらず、日本政府不在とも言える状況は、世界における孤立する日本の証左に他なりません。沖縄問題は、日米関係に戦後最大の深い亀裂を生み、政権交代は多くの日本人に本質的な政治不信をかもし出し、政治経済の現況は一向に好転する兆しさえ見えないほど、深刻なものであります。

 歴史的に国家の衰亡は、国家観と歴史観の喪失によって決定化されてきましたが、表層的な進歩主義や拙速な改革主義は、結果的に政治の不安定を加速させ、今日の日本の政治の実相そのものであります。わが国の指導者はアメリカの緩やかなる衰退と中国の急速な台頭という二重の国際政治の激動中で、日本はどのような国づくりを目指すべきかという大きな方向性が一向に語られておりません。世界同時不況が未だ終息しない中、財政運営についても積極財政と財政規律について、未だ統一感がないまま、積極論のプリンストン大学教授のポール・クルーグマン氏は3度目の世界恐慌を予測し、ハーバード大学のロバート・バロー氏は政府債務の増加に警鐘を鳴らしております。

 いずれにしても日本のおかれた閉塞感は国際的にも国内的にも戦後初めての事態であり、私達はこの歴史的局面を自身の問題として捉え、グローバルリズムとローカリズムの新たなる接点を模索しつつ、真の国益と国民益を求めて真剣な議論を求めなければならないと思われます。

コラム(33) 2010年08月
激動する世界経済と日本政治の進路について
 激動する世界経済は、先行きが極めて不透明感を増してきております。とりわけ昨今の円高は8月12日には84円となり、株価も一時9060円となり、当局はこの事態に対し、効果的なマクロ的視点に立った具体案が提示されず、まさに危機管理の空洞化と言われても仕方ありません。欧州の経済不安と米国の景気後退が囁かれる中、政府及び日銀は、主体性を発揮できず、わが国経済に与える悪影響は、予測を超えたものになると思われます。

 米国・欧州のリーダーは、この円高を容認するかのごとき発言をしており、まさに国際社会における日本のプレゼンス低下の証左に他なりません。このような重大局面にも関わらず、首相の危機感の希薄さと国際経済に対する対応欠如は、過去に例のないものと思われます。急激な為替異変の要因は、ドル安ユーロ安であり、輸出増進のための米国及び欧州の政府の容認姿勢であり、通貨政策に対し、わが国政権の無策さが一挙の露呈した感があります。

 今後の見通しについて、経済アナリストは、15年前の過去最高の79円に迫ることもあり得るとの見解であり、株価も9000円を割る可能性も否定はしておりません。米国はリーマンショック後、80兆円に上る財政出動をし、昨年世界中で先進20カ国は、500兆円の景気刺激策を実施しましたが、ギリシャ問題が発生し財政健全化の方向性が一般的となり、今日の低迷状況に陥っております。

 菅政権が国際協調の指導力を発揮できなければ、かつて言われた日本経済の2番底の心配が現実味を帯びてきました。アジア諸国の景気に支えられGDPの30%を輸出に依存する日本、とりわけ中国の金融引き締めによる輸出低下も危惧され、欧米との連関からも一層円高が加速する可能性が高いと思われます。

 日本の主要産業である自動車メーカーは、1ドル90円の想定であり、1円の円高によりトヨタ自動車は300億円の営業利益が減少すると言われております。更に、中小企業への影響は、図りしれないものがあり、政府与党の責任は、極めて深刻なものであります。

 失業者360万人、フリーター300万人、大学卒業者就職率60%の現状は、社会不安と荒廃の大きな要因になると思われます。

 政府としての成長戦略を明確に打ち立てずして21世紀の日本の繁栄の基盤は確立できません。今期(4月〜6月)の前期比GDP0.1%との急速な日本経済の低迷は、個人消費が主要因であり、GDPの60%を占める以上、国民生活が苦慮すべき現況を表しております。持続的経済成長政策の確立なくして現政権の求心力の低下に留まらず、日本の社会全体の将来に大きな不安を予感させます。従って国の財政力は、一段と低下し来年度予算編成は、過去例を見ない混迷を深め、地方財政も地方交付税を軸に各般に渡り、困難さが待ち受けております。

 強い経済・福祉・医療の実現は、力強い政治の確立が基本であり、政治の信用危機の今こそ新しい歴史の扉を開くためにも、健全な保守政治の復権が今日ほど求められる時はありません。

コラム(32) 2010年07月
今ある最大なる政治危機に直面して
 今日の日本政治全般の状況は、不毛地帯を漂流するがごとき事態である。理想主義へ傾斜し過ぎた結果は、原理主義に陥り国民の期待を失望に変えた政治の責任は極めて重い。
 ぶれない政治志向によるマニフェスト政策への固執は、財源の裏付けのないまま、各分野とも中二階に放置されたままである。保守からリベラルまで、思想の異なる党運営は、外交防衛への本質的議論を回避し、今日の状況に至っている。一元的な政治主導は、官僚排除に陥り、国家運営上にきたした支障は枚挙に暇がない。
 実際の政治手法も旧来の政治体質を逆に後退させ、支援団体への対応や予算の箇所付けの方法は、従来にもなかった中央集権的なものであった。
 今後も選挙目当ての耳ざわりの良い政策を続ければ、国民意識は失望から絶望へと変化する。対米外交の躓きは戦後最大であり、亀裂を生じた日米同盟の再構築は、国家安全保障という最重要課題上、急務であることは言うまでもない。
 今日、国際社会における日本のプレゼンスは、急速に低下し各種国際会議における指導力は、弱小化の一途と思われる。財政再建、新たな経済成長戦略、21世紀の社会保障制度の確立等、国内問題も何ら明確で具体性あるビジョンは提示できぬままである。
 昭和30年の保守合同以来、自民党は厳しい批判を受けながらも基本的には戦後復興から今日まで日本の平和と経済繁栄をもたらしたことは事実であり、それらに対し全否定的な政治姿勢をスローガンにしたことが結局のところ、日本の政治・行政機構の混迷を深めることになった。
 政治の要ていは、バランス感覚と調整能力を基礎とした上でのリーダーシップである。これからの日本の政治針路は、一層不透明なものになるが、国益と国民益を真に長期的に考えるならば、今日の政党間のデベートは、政治の成熟度から言えば、あまりにも稚拙と思われる。
 外交安全保障の基本合意を背骨として、経済・教育・医療・福祉・環境等、国内問題につき、より建設的な議論を経て良質な着地点を政党のリーダーは模索すべきである。
 今日本は、21世紀政党政治の危機であり、ホピュリズムに走り、政治家の国家社会に対する使命感が、あまりにも希薄である。日本政治の劣化に指摘は言われて久しいが、国会の議論の内容も表層的で理念に乏しく、政治的技量は言うまでもない。視点が短期的で財政問題についても本格的戦略が一向に提言されず、グローバル化が急速に進む中、経済戦略も明確でなく、中途半端な再配分議論そして政策の修正の繰り返しでは、日本は衰退途上国のレッテルをはられるであろう。
 政治は、社会工学的にも最も強い規制力を持つ故に、政治家の人間力や調整力、決断力、先見性、国際感覚、確固たる政治理念が今ほど求められる時はない。激動する国際政治経済、とりわけ東アジアの安全保障等を思う時、政治の政治家の本懐と気概が強く求められており、地方議員の1人である私も、自分自身の問題として改めて真剣に政治の危機を自覚している。

コラム(31) 2010年06月
新しい時代の保守政治に求められるもの
 激動の2010年も早4ヶ月が経過したが、日本の政治・経済は引き続き混迷を深めている。第2次世界金融危機ともいえるギリシャ財政危機は、世界的波及が懸念され、ユーロ圏諸国とIMFが89兆円の緊急対策を発表したが、今後の展望は未だ明確ではなく、欧州問題は日本にとっても2008年のリーマン以降、成長と財政規律の側面から強い当事者意識を持つべきである。
 世界の金融危機は、一応の回復傾向に向かっていると思われるが、各国の膨大な財政出動(総額500兆円)によって、支えられており、本質的解決を見出せないのが実情と思われる。
 一方、沖縄を中心とした東アジアにおける国家安全保障に対する政府の見解は、想像を超える不見識であり、未だ日本は主権国家としての自己認識を持てていない惨状である。更に口蹄疫問題は宮崎県が非常事態宣言をし、政府の対応の遅れと危機管理の甘さが指摘され、全国的問題となる可能性を秘め、極めて深刻な事態と考えなければならない。失われた20年から新たなる時代を造形すべく2010年は、歴史的転換期にすべき重要な節目と年となるべき時に、各分野における重要な政策が迷走し、国民の中に停滞する日本政治への不信感が一層強まるものと思われる。GDPが本年、中国に抜かれ世界第3位となり、国民1人当たりの所得も23位と、先進国の中で下位グループに位置している現状は、日本の将来像を具体的にデザインできず、場当たり的問題解決に翻弄される政治の責任は、極めて重いと思われる。
 急速に進む少子高齢化社会にあって、新たなる経済成長戦略を構築できず、漂流する日本政治は戦後最大の危機にあると思われる。金融資本主義から産業資本主義へのパラダイムシフトの中で、ものづくりの主役は今や韓国・中国・台湾をはじめ、東アジア諸国に移行しており、従って日本は格段する新興国需要を日本各社は早急に取り込む必要性がある。
 政府与党の散乱する各種政策は、国家衰退をもたらし財政論においても、財政規律や消費税問題等、党内不統一が恒常化しつつある。長野県においても、地域経済は一部の業種を除いて、未だ先行き不透明であり、雇用・所得ともに低迷を続けており、来年度の予算編成は相当高度な知恵と政治的判断が求められるだろう。
 民主党政権の財政破綻構造への傾斜、外交安保の根源的空洞化の中で、日本政治のリーダーシップの喪失により、民間企業の努力が経済活動を堅持しているのである。
 私たちは、経済成長路線と財政再建を複合的に進めなければならず、日米同盟の更なる深化こそが、次の世代に対し日本が国家として国民を守ることになると思われる。
 そのために新しい日本保守政治確立のため、日本人としての思想・歴史観、価値観について成熟した意識を国民1人1人が持たなくてはならず、長期的視野に立ち冷静に将来を見通す政治家の見識と責任感が今ほど求められる時はない。

コラム(30) 2010年05月
真に国民のための政治とは何か
 明治の近代化以来、日本人は「坂の上の雲」を目指してひたすら努力を続け、第2次世界大戦における敗戦もむしろバネにして、世界有数の経済大国に昇りつめました。
 しかし、失われた20年と言われるごとく現在は、坂の上の雲の中に入り、先の展望が見通しできず、極めて不透明な閉塞感の中に、日本人全体が陥っている憂うべき状況であります。10年後は、中国のGDPが約二本の2.5倍になるとの予測もあり、国家戦略を構築できず、改革というスローガンの幻想に捉われた1993年以来の日本の政治状況は、結果的に強い政治不信を国民の中に定着させてしまいました。
 今、日本のポルトガル化という指摘がされ、ヨーロッパにおいては、ほとんどのプレゼンスを喪失している姿は、10年後の日本を予感させ、極めて強い危機感を持ちます。中国に続くインドのその急成長は、アジアの両輪となるでありましょう。
 アジアにおける政治・経済のフロントランナーが、日本から中国やインドに変わり、2010年をスタートするこれからの10年こそ、日本の21世紀の歴史における分水嶺になると思われます。産業構造の本質的変化の中で、環境・医療分野が極めて重要な産業になることは間違いなく、早急に産学官連携の中で、経済成長戦略の構築が求められます。
 2020年に日本の人口は約500万人減少し、その後は毎年100万人くらいずつ減っていくと言われる中、少子高齢化社会への対応は、大量生産大量消費時代から、付加価値の高い産業をいかに育成できるかであり、そのために次世代に高度なる技術改新が今ほど必要な時はありません。
 昨今の政治は、貴重な税金の再配分に重点を置き、結局のところ政治的裏付けのないまま、国民にマニフェストとして提示し、社会は今、深刻な事態に陥っております。
 企業に対する適切な経済政策とは、その結果としての雇用の安定そして税収の確保という原則を離れ、極端な理想主義に走った結果としての日本社会を今更説明する必要もないほどの悪しき状況であります。
 そうした観点から私たち政治に関わる者は、1993年以来のあるいは昨年の8月の結果を歴史的教訓として、重く受け止め新の政治とは何か、真に国民の為の政治とは何かについて、より本質的な議論を再考しなければ、この国は坂の下の泥沼にぬかって転げ落ちて行く可能性は、決して低くはないと思えてなりません。

コラム(29) 2010年04月
歴史的転換期を迎え、長野県経済再生への提言(3)
21世紀に対応した長野県の経済成長戦略
 長野県におきましては、平成23年度までを計画期間とする「長野県産業振興戦略プラン」を策定し、スーパーデバイス(超精密・超微細・超小型部品)・スマートデバイス(超高機能部品)やナノテクノロジーといった分野への取り組みなど、これまで培われてきた本県の優位性のある技術を基に、産学官が一体となり商品化・事業化を推進することにより、マーケティング力と技術力を高め、世界市場へ飛躍する長野県産業を構築しようとするものであります。
 長野県産業は、全国的に見ても精密加工組立型産業に特化した産業集積が形成されており、製造品出荷額の3分の2以上を加工組立型産業が占めるという、特異な産業集積となっております。
 長野県において、こうした「ものづくり産業」は、歴史的にみても重要なウエイトを占めており、今後においても、その重要性は変わらないものと考えるところです。
 一方で、この度の世界的な景気減速により、産業の枠組み自体が変わりつつあるとも言われております。例えば、「グリーンイノベーション」「ライフイノベーション」といった分野の重要性が増すことが予想されているところです。
 長野県が持っている「ものづくり」の優位性を更に伸ばすという、現在の「戦略プラン」を否定するものではありませんが、いわゆる「産業構造の変化」「市場の変化」というものを見据えた「長野県産業の将来像」、更には、そこに至る「新たな道筋」というものについても、県として示さなければならない時期に来ているのではないかと考えます。そうした意味で、現在の「長野県産業振興戦略プラン」についても、必要であれば、バージョンアップすべきであります。 
 国際競争の激化は、技術革新のスピードを早め、科学技術の振興、研究開発の必要性は、かつて無い程の高まりとなっております。県としても、技術開発の支援、人材の育成などにおいて、大きな役割を担うことが期待されております。
 また、科学技術振興の取り組みには、スピード感が求められます。今回の経済危機を乗り越え、今以上の円高になっても収益が上がるような、経済環境の激しい変化に耐えうる産業構造に転換していくため、長野県には、半導体のシリコンが限界を迎えつつある中、次のステップとも言われるカーボンナノチューブの世界的権威である信州大学工学部の遠藤守信教授をはじめ、世界に誇れる技術を有する人材企業が多数存在します。
 産学官による研究開発体制を一層強化して、長野県経済の成長の源となる新たな研究・技術開発を進め、「技術立県・長野」として確固たる地位を築いていくための振興戦略こそが最重要課題であります。
 リーマン・ショックによる経済危機の中、日本の匠の技を集積した一基1500 万円で製造出来る超小型人口衛星をはじめ、航空宇宙産業は、関連する技術分野の裾野が広く、広範な産業分野への技術波及によって、長野県の産業振興に必ずや寄与する重要な産業分野であると考えられます。
 そこで、高度なものづくり産業の象徴ともいえる航空宇宙産業を振興させ、長野県の産業を多様化し、その活力を取り戻していくためにも、航空宇宙産業が次世代の、本県の基幹産業の一つとして花開くように、県として積極的に取り組んでいくべきと考えます。
 また、最近話題になっているリアルタイム・ブログ、ツイッターの創業者ビズ・ストーンは現在34歳と若く、マサチューセッツ州の高校を卒業した後、グーグルなどでブログ開発に従事した後、ツイッターを作り大成功をおさめました。
今の日本に不足しているのは、新しい領域にチャレンジする企業や個人ではないでしょうか。
 現在の経済危機を逆手に取って、今こそ新しい可能性に挑戦すべきであります。内陸県・長野の産業振興を進める上で、ネット社会に的確に対応していくことが欠かせないと思われます。
 以上、国際経済・日本経済・長野県経済それぞれの視点から私なりの見解を述べましたが、いずれにしても長野県の経済再生の為、全力を傾注する決意でありますので、県民皆様の引き続きのご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

コラム(28) 2010年03月
歴史的転換期を迎え、長野県経済再生への提言(2)
厳しい日本の経済財政と産業構造の転換について
 政府は2010年度の実質成長率1.4%、名目で0.4%の見通しをしめしておりますが、現実には実質でゼロ、名目でマイナスになると思われます。
 かつまた中国を中心としたアジア市場への需要依存が高く、冬のボーナスの大幅な落ち込みや、ベースダウンなどの要因により、内需拡大はとても見込めないと思われます。
 更に、国際社会において日本はどのような軸をもった国とすべきなのかという基本的な全体感がみえにくく、将来ビジョンを見すえた具体的国家戦略、経済成長戦略を早急に確立する必要があります。
 政府は昨年12月30日に成長戦略を発表いたしましたが、具体策の内容は先送りされ、財政面での裏づけが希薄であり、2020年にむけての実現性は極めて困難な実情であります。
 需要不足35兆といわれる中、デフレは3年以上続くという指摘もあり、先進国の中で厳しいデフレに陥っているのは日本のみで、このデフレ脱却には35兆円の需給ギャップを解消しなければならず、投資と消費を喚起するには経済の先行きに対する不安を緩和し、安定的成長を裏付ける中長期の経済戦略を根本的に見直しすることがもっとも重要な柱であります。
 その為に財政、金融両面からの対応が必要でありますが、先進国最大の財政赤字の中、日銀の一層の追加量的緩和策も求められております。
 経済政策の基本的認識は経済成長と景気の安定、所得再配分に対して複合的に政策をいかに的確に立案するかであります。
 2006年515兆円であった我が国のGDPが2008年には473兆円まで低下し18年前の水準にもどり、約50兆円のGDPが喪失いたしました。
 この落差をどのように回復するか、その為には名目GDP5% 成長を3年程堅持しなければ困難であり、政府日銀が一体となった、政策運営が是非とも必要であると思われます。
 GDPが本年中国に抜かれ3位となり、一人当たりのGDPが07、08年で19位まで下り、国の産業構造を抜本的に変革しなければ日本はいずれ総体的に新興国にも抜かれる予測が現実味をおびてまいりました。
 なお財政面においては、ギリシャスペインなど欧州の一部で財政悪化の懸念が高まっている中、日本も2010年末、中央政府の借務残高が約973兆円という予測であり、実にGDPの約2倍にあたります。
 中央集権の統治システムに拘束された地方経済の疲弊と貧困の風景は今日社会問題として顕在化し、農業、建設業、製造業を主要産業とした地方経済は、貿易の自由化、公共投資の減少、産業構造の急速な変化により厳しい環境下にあり、新たなる創造的資本主義の造形こそが今日本に課された最大な責務と思われます。
18世紀英国で起こった第1次産業革命、19世紀米国ドイツで起こった第2次産業革命を経て、今日の経済危機は第3次産業革命の進化にともなう本質的な産業構造の変化であります。

コラム(27) 2010年02月
歴史的転換期を迎え、長野県経済再生への提言(1)
激動する世界経済情勢について
 混迷と閉塞感の強い今日の日本の政治、経済情勢は、その展望が不透明であり、政治の根幹である地方自治の一翼を担う私達にとっても深刻な影響下にあります。 とりわけ地方経済の疲弊は近年経験のないものであり、従ってこの難局打開の為には、的確なる分析が必要であります。
 2008年9・15リーマン・ショックから約1年半が経過致しましたが、昨年4月のG20によって各国の財政出動の総額は500兆円にのぼり、世界経済はかろうじて底割れを回避いたしましたが、いまだ先進諸国経済は浮上のきっかけをみいだせず、国際金融、経済の本質的解決にはいたっておらず、世界の金融資産がおよそ2京円(2千兆円の10倍)、デリバティブの取引残高は6京円(6千兆円の10倍)とも言われ、世界GDP5400兆円と比較した時、その規模の大きさに驚愕せざるを得ません。
 17世紀のチューリップ暴落、18世紀の南海バブル事件、1929年のニューヨーク大暴落、1990年東京大暴落等の経済史を想起する時、各種のシンクタンクの見方は2012年頃が最悪期との見方もあり、更に世界の政治経済の覇権は米国から徐々に中国に移行し、米ドルが世界の基軸通貨としての立ち位置が揺らぎだし、今後世界経済は新たなる混迷の時代へと移行しつつあります。
 2007年8月17日のサブプライムローン問題は、21世紀初頭最大の経済課題のスタートとなり、2008年9・15リーマン・ショックは決定打となりました。オバマ大統領の支持率が50%を切り、2010年暮れから2011年にかけて厳しい金融情況が一段と深化するものと思われます。
 パックスブリタニカからパックスアメリカーナへの転換期となった1944年7月ブレトンウッズ会議の合意によるIMF世界銀行体制は、米国に富が集中し通貨のパワーと産業力を持って、戦後の国際通貨体制の基盤となり、その後1971年ニクソンショックによる変動相場制移行への歴史を振り返る時、新たなる時代の節目が来た気がいたします。
 2009年6月1日、ガイトナー財務長官が中国において、中国が保有する1200兆円といえる対米債権を守るべく、ドル建て資産の投資の安全性を訴えたようですが、経済面だけみれば米中の立場は逆転しつつあり、中国は総額で60兆円の景気対策を打ち、先進国を抜いて、いち早く景気回復の基調を示しました。 一方日本の財務省によれば、外貨準備高は約92兆円で、そのほとんどが米国債で運用されており、日本が保有する対米債権は、民間セクターも含めて総額で約800兆円と言われております。
 従って、日本は大債権国でありながら、主権国家として、このカードを切れず身動きが取れない環境下にあるという現実であります。
 今回の経済危機により、景気が失速するまで2002年以降、GDPの成長分の4割は外需によるものであり、その主役は製造業による設備投資や雇用の伸びによるものでありました。
 外需の見直しが悪化した現在、個人消費の鍵ともいえる個人の所得状況は極めて悪く、企業の設備投資は言及するまでもない環境であります。
 また、極東における安全保障問題は、50年の節目を迎える日米同盟の年にあたり、中国海軍の西太平洋進出へのポテンシャルは極めて高く、シーレーン確保をはじめ、経済安全保障の観点からも、貿易立国日本にとっても高度な判断を迫られております。
 更に、本年11月に開催予定のAPECにおいて議長国となる日本は、アジア・太平洋におけるその存在感や指導力をどのような内容と型で発揮できるのか、まさに経済大国としての鼎の軽重が問われる重要な年と思われます。

コラム(26) 2010年01月
2010年経済成長戦略ICTビジョンと長野県経済再生に向けて
 新たなる2010年の日本は、文明国として厳しい剣が峰に立ち竦んでおります。2004年をピークとして、わが国の急速な少子高齢化社会は、2055年に9000万人を割ることとなり、65歳以降の人口が40%に達する、新たなる成熟社会が到来致します。
 その結果、社会の活力の低下、所得水準の悪化が懸念される一方、医療・介護・年金の負担の増加傾向が益々進み、新しい時代に対応したマクロ経済成長戦略を構築することが、最も重要な政策課題であります。
 円高・株安・デフレの三重苦の中、社会保障制度や将来に向けて教育の質の向上も含めて、国民負担を出来る限り抑止し、活力ある経済社会を確立することは、政治の最重要責務であります。歴史的には国家経済の長期衰退は、オランダ病や英国病がありますが、戦後復興から高度成長、バブル崩壊、停滞の失われた20年という64年に渡る日本の現代史を辿れば、結果として本年のGDP479兆円となり、17年前の国力に逆戻りという現実であります。更に、国民意識・倫理観・社会規範も急速に変容する中、高い倫理観と社会道義の復権こそ、大きな政治目標であり、テレポリティクスの劇場政治に一喜一憂する現況は、亡国への予兆であります。
 先進国にあって異例とも言える格差社会は、家族と地域共同体を喪失し、都市圏への政治経済の異形な一極集中により、長野県経済や中小企業経営の疲弊は、経験のない深刻な状況であります。
 大きな経済再生への概念の1つの切り口として、ICT(インフォメーション・アンド・コミュニケーションテクノロジー)情報通信技術に注目すべきと思われます。
 ネットワーク通信による情報・知識の共有により、ICTはITに比較して一層ユビキタス社会に合致したものであります。ICT産業は既に日本のGDPの10%を占め、GDP成長に対する寄与率は03〜07年度において、約34%に至っております。
 わが国の経済社会の新たなる道として、このICTは必ずや経済成長の指導的役割を果たすと思われますし、デジタル新産業の充実と集中的な研究開発投資、コンテンツ市場の拡大により、2015年〜2020年において、ICT産業は200兆円規模という極めて高いポテンシャルを持っており、マクロ経済の政策欠如した今日の状況に対する1つの視点と思われます。
 2010年のスタートにあたり、現代という時代を俯瞰した時、私達は地方政治に関わる者の1人として自覚すべきことは、県議会は単なる議決機関ではなく、住民の代表機関として、行政とともに自治運営のもう1つの重要な柱ということであります。県政に関わる重要な政策課題や政策の方向性に対し、積極的にコミットしてこそ、二元代表制における議会の存在意義であります。グローバリズムの中にあって、ローカリズムの政治の代表である県議会は、改めてその立ち位置を確認し、今こそ混迷を深める現実政治の打開に向けて総力を結集し、ともすれば個別議論の分散化に固執しがちな議会運営の中にあって、県政全体を視野に入れたこれからのあるべき社会像につき、大きな議論を総合的に見据え、その政治責任を果たす時であります。
 米中によるG2の世界覇権の中、日本は存在感をいかに発揮し、新しい時代に立ち向かうべきか、この時にあたり地方自治は、政治のプラットホーム(基盤)として自律と創造と伝統重視の理念に立ち、激動の2010年に立ち向かうべきであります。
 経済の2番底、腰折れが不安視される中、私も守るべき価値としての愛する家族、ふるさと松本市、長野県、日本の為、使命感と情熱を持って本年も全力を傾注する決意であります。

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